選ばれなかった私に。

たまった思いを淡々と。

通り過ぎた駅にまた明日も

地下鉄が通りすぎる音が、耐えられないほど耳障りに感じるときは、たいてい感情が疲弊している。


死んでしまいたいほど辛いことがあったわけではなかった。
たぶんそれは、例えば公共料金を単なる怠惰で延滞したり、つまらないミスでつまらない言い訳をしてしまったりしたときの、ちいさな自己嫌悪の積み重ね。

無意識に自分を正当化してやり過ごしていたその自分の狡さや情けなさが、ふいに浮かび上がっては感情を脅かす。

そんなときは人の欠点さえやたら目について、誰もが自分勝手で利己的に思える。
駅の階段を上る、前を歩く人の傘が私の方を向いていてあたりそうで苛々する。
急に立ち止まってははしゃいでいる学生の群れは、自分達以外の人間を気にもとめない。
雑踏の中では誰もが感情をなくして、他人の足を踏んだところで謝ることもない。

それが悪いのだとそんなことが言いたいのではなくて、ただそれを通して自分の心がささくれているばかりなら、その日の私はきっと誰にもやさしくなれなかった。
そのことを自分が証明しただけ。


ごめんね。あのとき私が笑いかけたのは、見返りを求めたから。
いつか私を軽蔑しようとするときに、あの時の笑顔がどこかに残って、そうしてそれに免じてゆるしてくれるように、保険をかけて。

ごめんね。それでも、私はそれを後悔することもできない。
君が同じように自分のために私にやさしくしたのだとしても、私は嬉しかったから。
どうしようもなく自分が情けなく矮小に思える夜でも、そんなやさしさにすがれたから。